桜田淳子成長物語
昭和33年4月14日。桜田淳子さんは、産まれた。父・桜田金一郎、母・ワカ。既に、9歳年上の兄と、7歳上の姉がいる。年が離れていたせいか、両親はもとより兄も姉も、末っ子の私(淳子)をとても可愛がってくれました。兄弟げんかした記憶もありません。そのかわり、とてもオシャマでお転婆な子どもに育っていたみたいです。近所に同じ年頃の女の子がいなかったので、遊び相手はいつも男の子ばっかし。かまくら遊びをしようって事になれば、雪で作ったお部屋の中で、男の子が焼いてくれたお餅をパクパク、私はもっぱら食べる人でした。以下(省略)
昭和38年4月。我が家から歩いて10分程の所にある新屋幼稚園に入園しました。
相変わらず男まさりの活発な女の子でした。そして正義感にもあふれていたのよ。弱い者いじめをしている男の子をみかけたら、すぐとんでいってやっつけちゃったもの。自分がいじめられたら、ちゃんといじめかえすし。そんな私をこわがって、男の子も一目おいてくれたようです。休み時間に遊びすぎておトイレに行くのを忘れたの。以下(省略)
昭和40年4月。近所の市立日新小学校に入学しました。私の一番好きな学科は国語。とくに朗読が好きでした。おかげで標準語も覚え、歌手になってからも言葉のほうの苦労が少なくてすみましたね。以下(省略)
小学校の高学年になってからは、クラブ活動に熱中していきました。ところが、男子部員が怠け者ばっかり。仕方なく、私がリーダーになったんです。学芸会でも、かなり活躍しました。その頃からですね歌やお芝居に興味を持ちはじめたのは。
とくに、歌は大好きで、幼稚園の頃から流行歌を歌ってました。当時は山本リンダさんの「こまっちゃうナ」が流行ってたの。以下(省略)
やがて市立西中学校に入学。朗読やお芝居がやりたくて、演劇部に入り、部長もつとめました。もちろん、歌の方も。ヒット曲は全部覚えて、いつでも歌ってました。中学2年の7月19日。秋田で「スター誕生!」の予選会が開かれたのです。「自分の歌はどれくらいか試してみたい!」私は牧葉ユミさんの「見知らぬ世界」を歌って参加しました。そして七百人もの中から選ばれて、東京での決勝大会に出場する。両親や兄、姉、叔母さんまで駆けつけて応援するなか、私は再び「見知らぬ世界」を歌いました。そして優勝!デビューを飾りました。
近代映画 桜田淳子アイドルエース特集号から